May 2016
幸せの価値基準
GuangXi, P. R. China
経済成長著しい中国。
一躍世界経済の中心に躍り出たこの国の姿を、
「ここは日本の昭和35年やな。」と形容したお客さんもいました。
僕が社会に出たての17年前のことです。
ルールもインフラも揃っていなかった街が生み出していた独特の躍動感。
失われた10年の中で社会に出た僕は、嫉妬心を強く持っていました。
発展と変化を繰り返し、突き進んできたこの同じ国の中に、
取り残されたかのようにそのままの風景を残した村があります。
「僕はここに生まれなくてよかった。日本に生まれただけで幸せ者だ。」
十数年前にベトナムとの国境近くにあるこの田舎町に検品で訪れた際に僕が感じた、偽らざる気持ちでした。
久しぶりに訪れたこの村は、10年以上の時を経ても何も変わっておらず、
道路の舗装も行き届かず、反対車線にはみ出ながら走ってくる車にバイク。
異臭を放つ場所があったり、まともに靴も履かずに生活している人がいたり。
でも、初めて見る外国人に目をキラキラさせながら話しかけてくる姿や、
小さい赤ん坊を、4歳くらいの子供が抱きかかえてあやしている姿。
カメラを向けると照れて笑いを浮かべて逃げていく子供たちの姿の中に、10年前感じたものと全く違う感情を持ちました。
楽しそうで、いきいきしていて、生きていること、それ自体を楽しんでいる。
少なくとも僕にはそう見えました。
幸せの価値基準は、そこにいる人がその世界の中で、勝手に決めればいいんですね。